IE9ピン留め
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最近のこと
 どうにもスパムコメントがではじめたのでちょっくら文章を書いてみましょう。

 先日より大学は冬期休暇に入り、つかの間の休息といったところです。……いや、あれやこれやとのんびりとしている場合ではないのかもしれませんが、まあ良いではないですか。

 最近はほんとにしばらく「共同体」とか「家族」とかについて考えていて、みつけるつもりもない「答え」をティースプーン一杯、あるいは爪の先で引っかいたくらい……とかく、ほんのすこしだけ求めています。
 帰属する(できる)場所として「家族」は機能しているのか。きっとしていないし、あらゆる「共同体」も同様だと思う。それはつまりぼくたちは自分にしか帰属できないということなんだけれど、それってすごい不安だよなあ。
 「じゃあどうすれば良いんだ」と怒られてもしかたがないんだけど、どうしたら良いんでしょうね。けどぼくは、自分にさえ帰属できれば良いと思っている。そしてそれが一番むずかしいのではないかとも。

 最近の悪いくせなのですが、どうにも漢字を開きすぎて読みにくくなるきらいがあります。どうしてこんなことになってしまったのでしょう……。
# by kaede_kuroki | 2011-12-28 00:46 | 日常生活 | Trackback | Comments(1)
「趣味」の話
 ひとの嗜好というのは、どのように形成されるのでしょうか。親兄弟と似ても似つかない趣味というのが発現する原因というのは、学校だったりもしくはテレビ(存外に軽視できないメディアだといまでも思います)だったりするのではないかと僕は考えていますが、いささか安直でいけません。
 趣味の世界というのは広く、ひとりの人間に理解できる趣味というのは、もしかしたら少数なのかもしれないですね。
 最近よく思うのが、「Xが好き」と言う場合にはXに内包される対象がすくないほうが誤解が軽減されるだろうということです。たとえば「小説が好き」と言うのと「ミステリが好き」と言うのとでは、後者の方がコミュニケーションの上滑りを回避できるのではないでしょうか。上滑りしたコミュニケーションも魅力的ではあるのですが、そのような間柄でないかぎりよけいな誤解は防ぎたいものです。
 趣味嗜好というものは「これ」のみを対象としていることがよくあります。それゆえに趣味の世界は千々に砕けて拡散してゆくのでしょう。
 ひとつ確信しているのは、そのような世界で、自分の好きな対象(フェティッシュ)を見つけられるということは、とても幸せなことなのだろうということです。なにが好きかもわからないなんて、さみしいじゃないですか。けれど、もしかしたら、そういうひとがたくさんいるのかもしれない。それは一重に現代社会が自由であるという証左なのかもしれません。自由の中で自由に生きるのはむずかしいものですからね。
# by kaede_kuroki | 2011-12-07 00:19 | 雑記とか | Trackback | Comments(0)
不安と安心への手続き
「みんな、わたしのことを理解してくれない!」
 思春期にありがちなのか、はたまた創作の世界だけでありふれたものなのかは判別しにくいが、承認欲求の発露というのは、こうして俯瞰してみると実に痛々しい。
 そもそも、「みんな」とは誰で「わたし」とは誰で「理解」とはなんなのだろうか。

 思春期に限定してみよう。彼もしくは彼女にとっての「みんな」というのは、友人や親、教師などが挙げられるだろう。近年の情報社会の中ではさらに拡大した「みんな」が存在すると思われるが、ここではとりあえず「中景」=「みんな」ということにしておく。
 つぎに、「わたし」である。誰か。「わたし」だ。しかし、わたしたちは「みんな」に「わたし」を「理解」してくれと願えるほど、「わたし」を「理解」しているだろうか。
 わたしたちは嘘を吐く。きれいな「わたし」、きたない「わたし」、それらを語る「わたし」。わたしたちは「わたし」を語れるほど広い視野をもっていない。現実を言語によって語ることができないように。
 では、「わたし」はどのような「わたし」を「みんな」に「理解」してほしいのだろうか。
 それは、「わたし」の語る「わたし」であり、「わたし」の語らない(もしくは語りえない)理想的な「わたし」である。
 ……そんなの理解できるわけないじゃん! という意見が大勢を占めるだろう。
 「わたし」は「理解」できない。
 「理解できない」ことを知っているために、そして絶望しているために、彼もしくは彼女は叫ぶのである。「みんな、わたしのことを理解してくれない!」
 しかし、「理解できない」ことは絶望なのだろうか。わたしたちは「わたし」を「理解」してほしいのだろうか。

 「理解される」というのは、気持ちの良いものばかりではない。もしかすると、気持ちの悪いものばかりかもしれない。だから、わたしたちは嘘を吐く。ちいさな防衛線を引く。嘘というノイズは「わたし」を「理解される」ことから護ってくれる。

「わたしは、あなたの、みんなじゃない」
 いつか、「わたし」が「みんな」に還元されて「理解」される日がくるまで。
# by kaede_kuroki | 2011-11-02 21:32 | 雑記とか | Trackback | Comments(0)
偶数枚で収めたい
 A4で8枚ですと、A3にまとめたときに4枚になりますね。むだがないですね。うれしいね。

 火曜日の発表に配布するレジュメが完成しました。何度か完成しました。今度こそ完成しました。意味が分かりませんが、印刷するたび「これじゃない」感がこみ上げてきて書きなおす(というか書き足す)ことが何度かあり、「もしかして終わらない……?」と恐怖したのですが、なんとまあ簡単な話ですが、気にしなければそこで完成なわけです。というか、タイムアップです。さすがにレジュメの内容をすべて滔々と読みあげる体力もないので、どこをどう進めていけば効果的かということを考えなければなりません。じつにめんどうな作業ですね。

 内容は「伝えたいのに伝わらない。わたしのこの気持ちどうしてくれるの! ~恋する乙女篇~」な感じです。一見するとふざけているようで、ふざけています。大切なのは前半だけですね。
 「伝えたいのに伝わらない」ということは、日常生活の中でも度々起こることではないでしょうか。このようなコミュニケーション不全の切実さについてわりと真剣に考えてみました。ここで論じるコミュニケーションとは、いわゆる「コミュ力」とは違うと思います。なにせ「他者」のことを考えていながら、「他者」のことを考えていませんし。
 「ぼく」と「きみ」の関係と、「ぼく」と「きみ以外の誰か」の関係はまったく違うということは誰しも理解していることと思いますが、「コミュ力」というのは、この個別のコミュニケーションについてなにも考えられていないのではないでしょうか。そのような問題意識を持ちながら、今回はいろいろごにょごにょと考えてみました。なんとか形になったのではないでしょうか。
 リアクションのすくないゼミなので気が滅入るのですが、まあ、がんばります。
# by kaede_kuroki | 2011-10-23 22:07 | 学校生活 | Trackback | Comments(0)
身分証明書完成
 昨日、運転免許センターで学科試験を受験し、無事に合格することができました。
 これで普通自動車(AT)を運転する権利が与えられたわけですが、車を運転してどこかに移動している自分が想像できない(想像したらすごい不自然だった)ので、あのような鉄のカタマリを操縦する日はしばらく来ないのではないでしょうか。

 学科試験はマークシートで、採点なんかすぐ終わるだろうと思っていたら、ほぼ一日つぶれて唖然としました。なんなんだ、いったい……。受験生が多く、またよろこばしいことに合格者も多かったことが原因なのかもしれませんが、なんの娯楽もない免許センターでのあの待ち時間は苦痛でしかありませんでした。合格してみると実にあっさり運転免許が交付されるので、待ち時間の不毛さが際立つのかもしれませんが。

 身分証明書(運転免許証)があると便利なことってなんでしょう。思い返せば意外と身分を証明する機会はあまりなかったかもしれません。幸いこれまで職務質問をされるようなこともなかったですし。あるとすれば、古物取引……本を売り払ったりするときぐらいでしょうか。

 ともかく、車を運転する権利が与えられたので、いざというとき(いざ?)、なにかに使えると良いですね。
# by kaede_kuroki | 2011-09-13 16:15 | 日常生活 | Trackback | Comments(0)
卒業検定
 大人気アニメ『そつけん!』が終了しました。

 7月12日からの教習所生活が終わりました。およそ二ヶ月かかって卒業したわけですが、そのくせ乗り越しはありませんでした。たぶん乗り越していたら「ゆとり世代」らしくやる気を失くしていたのではないのでしょうか。
 仮免許は7月25日に発行されているので、第二段階に移ってから進行度がかなり落ちています。べつに僕のやる気が蒸発したわけではなく、教習所自体がお盆休みであったり、夏休みの学生が大量に入所したために配車の予約が取れなかったことが原因です。……教習手帳を見返すと、仮免許取得後、一週間ばかり車を運転していませんでした。8月は、11時間しか教習を受けられていません。そりゃ卒業も遅くなります。

 はてさて。いざ卒業してみると、苦情の投書でもしてやろうかという気も失せますね。教習所なんて一生のうちに何度も行くわけではないので、改善されても自分に得がないからでしょう。教習所だからまだ良いものの、国家規模でこういう考えが蔓延すると非常に危ないですね。

 教習所が多大なストレスになっていたので、これからは外には出ず、不健康な日々を送りたいと思います。教習所記録でも書こうかなと思ったけど、そんな気力もどこかへ行ってしまいました。
# by kaede_kuroki | 2011-09-08 16:40 | 日常生活 | Trackback | Comments(0)
同人音楽とささやかな記憶
 同人音楽というものにはじめて触れたのは中学生のころだったでしょうか。「同人音楽」というカテゴリを知らずに、muzieでいろいろな音楽をあさっていた記憶が蘇ります。
 muzieでは様々な音楽に出会い、いまでも愛聴しているアーティストが多くいます。霜月はるかriya茶太resetfripSide……枚挙に暇がないわけですが、それだけにいまの僕の音楽観というのがmuzie(に限らずインターネット全体)の影響を強く受けていることを自覚せずにはいられません。
 当時のmuzieの接続のしづらさを思い出すと、よくこんなに聴いていたなと思うのですが、それだけ新鮮なものに感じたのでしょう。

 muzieでの音楽生活も悪くはありませんでしたが、しだいにアーティストの個人サイトを見て、リンクをたどるようになります。まったく、インターネットは広大な海ですね。
 しかしながら、Sound HorizonやI've soundについていつ認識したのかがあまり思い出せないのです。SHに関しては『Moira』以降の知識がありません。
 I'veとの出会いは、僕の音楽観を再構成する契機だったのかもしれません。つまりはPCゲーム音楽との出会いとも言えるわけですが、この出会いが良くも悪くも僕の人生を変えてしまったような気がします。
 おたく的素養が育まれるには、そう時間を必要としなかったのではないでしょうか。そして僕は、この過去の遺産があることで、おたく的な分野について考えることができています。
 そうは言っても、近年のVOCALOID界隈についてはあまり関心を払うことができず、どうにも置いていかれているような気がします。

 ここ数年の同人音楽はいろいろなことが起きていて、全容を知ることはほぼ叶わないでしょう。2009年にはfripSideからnaoが脱退し、2011年にはI'veから島みやえい子、KOTOKOが脱退。これらはそれなりの知名度を得ているアーティストであるために多くの人が認識していますが、同人音楽全体に視野を広げれば、なにが起きているかまったく分かりません。これは、どのような分野でも言えることかもしれませんが、それだけ同人音楽というフィールドが広くなったことを意味するのではないかと思います。
 同人音楽においても、盛者必衰の運命は避けられないのでしょう。
# by kaede_kuroki | 2011-09-04 03:22 | 本と音楽 | Trackback | Comments(0)
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